macOS/iOSにバグがいっぱい?

曖昧な記憶を辿ると、多分、1996年頃、Steve Jobsが戻ってくる直前、Appleは混乱していた. Mac OS 7.5.5を頂点として、Macintosh OSはバグだらけだった. 

当時、Macintoshベースのサーバーの商品企画の担当をしていた. Windows 95 PCが次々に企業のデファクトスタンダードになった頃の話である. 担当したMacintoshベースの商品はすでに敷かれたレール上にあり、いかんともしがたかった.

しかし、Mac OSのバグには、本当に我慢できなかった. ユーザーのクレームは耐え難いものだった.

最終的にWindows NTベースに変えることで問題解決を図った. しかし、開発のやり直しだけでなく、PCメーカーの選定や生産までゼロベースでやり直しになった.

結果、お客様は大喜びだった.

現在、少し当時と似ている. macOSもiOSもAppleアプリも細かなバグが目につく. 問題だと感じることは、バグそのものよりも、Appleの評価チームが機能していないのではと疑われる点だ. シリコンバレーにありがちな、開発者は新規機能の作り込みにしか関心を示さず、完成度を問題にしない傾向が今もあたり前のこととしてまかり通っているのではないか?

直面している問題のひとつはXCodeが落ちること. アプリそのものは正常に動作しているが、アップロードで問題が起きる. 当然、Appleには落ちたときのログを送付済み. workaroundが見つからないのが悩みを大きくする.

昨日、iPhone SE2からiPhone 13に電話がかからない問題を発見. iPhone 13からは電話がかかるのに逆は不可.

このほかにも、Safariがwebサイトを開けられない問題もあったりして、Appleに対する信頼度は日に日に薄れていく. やれやれ・・・いつか来た道なのかな?

ドコモirumoから楽天モバイルに変更

ドコモのdアカウントに疲れた. よって、ドコモを諦め、楽天モバイルを使うことにした.

homme 5Gはドコモ回線なのでドコモから逃げようがない. 問題は、dアカウントとの紐付けにHR01は070から始まる電話番号が使えないこと. しかも、管理上、dアカウントが必須になる.
問題は、その070の番号は電話回線として使えないので連絡電話番号として登録できない. 

他方、iPhoneをドコモのいつでもカエドキプログラムで分割払いにした場合、これに対応するdアカウントが必要. 言い換えるなら、iPhoneの電話番号はhomme 5Gに使えないので、デュアルSIMでもう1回線契約するしかない. 

代案としては、電話回線契約のないhome 5GはiPadのdアカウントで管理する方法も取れる. この方法だと、電子メールでセキュリティコードを受け取ることになる. 不思議なことは、連絡電話番号を登録してあっても、iPad上ではその表示がされない (言い換えるなら、iPadでは、連絡電話番号を削除したり、変更できない)

そうした試行錯誤を経て、3台のiPhoneはそれぞれユニークなdアカウントに紐付け、iPadではhome 5GのHR01に紐付けて管理することにした.

注意事項
(1) iPhoneでは、ドコモ回線でない電話番号をdアカウントから削除することができない.
(2) iPhoneでは、ドコモ回線でない電話番号をほかの電話番号に変更することが可能.
(3) iPadでは、連絡先電話番号が登録されていても表示されない.
(4) いつでもカエドキプログラムを利用すると、その電話番号はhome 5Gに利用できない.
(5) 結局、home 5GをiPadで管理したくないなら、デュアルSIMにせざるを得ない.

macOS 13.6.3のトラブル: AirPlay

トラブルが多いなぁ、と思うきょうこの頃.
取り急ぎ、Safariの代わりにEdgeを使っている.
Xcodeは、Build→アプリ実行でOKになったので、ArchiveでDistribute Appを作成したあと、Validateすると”Xcode quit unexpectedly”メッセージが出て、Xcode自体が消失.
AirPlayは何とか問題解決. やれやれ・・・・・

AirPlayの問題
1. Tuner/AMPのAirPlayと接続できない. つまり、iMacの楽曲が聴けない.
2. iPhoneとiPadのRemoteでMacのミュージックと接続できない.

対処
システム設定→ネットワーク→ファイアウォールOFFにする.

備考
1) iOS 17.2.1   macOS 13.6.3
2) Apple Developer Programに日本のチームができたのか? ただし、Xcodeが落ちる問題は解決できず.  →無料の問い合わせクーポンを使うしかなさそう.

IPアドレスを非表示、即ち追跡をブロック

「インターネットにアクセスする」、即ち「世界に自分をさらす」にならない方法

AdBlockなどで広告やcookieをブロックしても、webページにアクセスした途端、自分のIPから個人情報が盗み取られるかも知れない. 多くの企業では、VPNを利用しているが、個人ではそこまでコストをかけたくないというのは本音.

最近、macOSもiOSもIPアドレスの非表示をサポートするようになった. 調べた限りでは、VPN相当のようだ. 

Return to forever

Chick Coreaのアルバムを聴いている.

音楽については全くこれと言った知識を持ち合わせていないが、Chick CoreaのReturn to Foreverは完成度が高く、何回聴いても引き寄せられる. タイトルも哲学的だ. 1971年の作品というのもいい.

学生の頃、英語を使う仕事がしたい、そのためには海外に行く機会がある旅行会社がいいと考え、旅行代理店の試験を受けた. しかし、悲しいかな、ウェストミンスター橋で先に行けなくなった.

小説や哲学書は何百冊も読んだことがあったが、ウェストミンスター橋がどんな形をしていて、どこにあるかなど、全く知る由もなかった. 英語での面接試験はそこで終わり、この夢は潰えた.

しかし、1990年〜2005年まで商品企画の仕事をしているとき、嫌というほど英語漬けになった. 最初はゆるやかだったが、そのうちシリコンバレーのベンチャー企業との取引が入り、次々に拡大していった. 自分自身、何をどうしたかったのかさっぱり説明しようがないが、これにシンガポール、オーストラリア、ニュージーランドなどのAsia Pacific取引先が加わり、さらに米国東海岸の親会社との対応も必要になった.

最初、Adobe社やApple社など名が知れた企業の傍でシリコンバレーのベンチャー企業と取引できるのは誇りに思えたし、実際、勉強にもなった. Intel社の近く、Lawrence Epy脇のResidence Inn by Marriottはとても気に入った. それに、知人の弁護士がXerox Parkにいたので、時々、会いに行き、いっしょにMountain ViewやSan Mateoで飲んで騒ぐのも楽しかった.

海外出張の頻度は、相手方が来日することを考慮し、4ヶ月に1回、1週間と決めていた. こうすれば、多くても2ヶ月に2週間・10日間だけface to face meetingをすればすむ. しかし、その考えは甘く、問題は山積し、3ヶ月に1回・2週間の出張になり、西海外に加え、東海岸にも行かなければならなくなった. おまけに、アイオワ州のデモインまで行き、商談を断ってきてほしいというような仕事まで入ってきた. 「それってどこにあるのですか?」と質問したら、「ほら、あの『マジソン郡の橋』の・・・」と返ってきた.

その頃までにface to face meetingだけでなく、電話やPicTelでの会議も増え、英語メールは一日で全部読みきれないくらいきた. やれやれ.

対策として、日本語で考えていると時間が足りないので英語で考え、メモを取るようにしたが、元々、頭の回路が遅いのでさらに遅くなる問題に直面した. 英語力アップのため、Audibleで小説やビジネス書の読み上げを購入し、通勤途中に聴くようにしたり、ペンギンブックスやハードカバー本などを毎月1冊は読むようにした.

しかし、それらの努力は、おそらく、学生時代にやっておくべきことだったかもしれない.

自分の頭の中では、そうした過去の思い出にしか過ぎないことが、時々、永遠に蘇ってくるような気がする.

日々、思うこと

IMG_065712月、ウォーキングを再開. 平均11km/日. 少し普通に戻ってきた.

歩きながら考える. ずっと昔のこと、今のこと、この先のことについてあれこれ考える. そして、結局、自分を突き動かしてきたものは、多くの場合、目標の設定とそれを実現したいという願望に支えられていたような気がしてくる.

しかしながら、実際は、願望がエネルギーの根源であり、目標達成はひとつの結果に過ぎなかったのではないか、そんな気もする. 

目標を設定し、実現しようとすることはまちがっていないだろうし、それ以外に良策がありそうに思えない. しかし、人生はそれだけで構成されるものではない. いわゆる喜怒哀楽などはその横や向こう側に付け足しのように存在するわけではないだろう. 何ひとつこれといったものが実現できなかったとしても、思いやりや優しさの方がずっと大事だということは言わずもがなである.

否定形で言うなら、「一生懸命にやらないこと、先頭を走らないこと、頑張らないこと」が賢明であるが、「自分のベストを尽くすこと」は重要だ. すべてのことは意のままにならない. 頑張るのではなく、ベストを尽くして次にチャレンジした方が実際的だ.どこかに行き着くことや悟りを拓くことが重要でなく、願望や希望を持って明日に向かおうとする気構えの方がより重要だ.

歩きながら、そんなことを考えた.

ベストを尽くすこと

結局、自分のベストを尽くすしか手がない.

「一生懸命」は力及ばずともずっと力を出し続けろという命令口調のようなところがある. しかし、「ベストを尽くす」には、容易に手を引っ込めてもいいという逃げの余地が残されていて、縛りがない.

いつも、そんな自己保存の法則を信じながら、生きてきた気がする.

目標を設定できた場合も、逆に、やるべきことややりたいことがあまりにぼんやりしていて確かな目標を設定できなかった場合でも、それなりに自分のベストを尽くすという思いにブレは生じなかった. ほかにいいアイデアが浮かばなかったというのもあるだろうが、それが自分の生き方の基本姿勢だったように思う.

多分、この先も、同じように生きていくのだろう.

もちろん、目標は達成できた方がいい. しかし、何かを実現することは思いのほか容易でない. したがって、結果や成果によってプロセスを評価するというやり方はまずい. 生き様のほとんどはプロセスそのものだからだ.